『「フィデリオ」を見て』 弁護士 児嶋初子
先月、新国立劇場で、ベ-ト-ベンのオペラ「フィデリオ」を見た。
このオペラを見たのは、3回目である。1回目は大学生の時、日生劇場のオ-プニングで、ベルリン・ドイツ・オペラが初来日したときで、初日の演目であった。何しろオペラを見たのはこれが初めてであるが、本場ドイツの歌劇場の引っ越し公演をみて、感動したのは言うまでもない。2回目は、日生劇場の開場50周年の公演である。そして、今回は3回目である。
このオペラのスト-リ-は、レオノ-レという女性が、政治犯として投獄されている夫フロレスタンが繋がれていると考えられる獄舎に、男装し、「フィデリオ」と名乗って雇われ、そこで働いて、夫の所在を突き止め、身を挺して救出に努力する、その結果、巡察にきた大臣が、刑務所長の悪事を知り、フロレスタンは解放され、さらに他の囚人達も釈放される、というものである。夫婦の愛、自分の信念に基づいて行動する、当時においては全く新しい女性、自由などがテ-マとなっている。
ところで、今回の新国立劇場での公演は、リヒヤルト・ワ-グナ-のひ孫に当たるカタリ-ナ・ワ-グナ-の演出によるものだが、スト-リ-が原作から変えられていて、原作の筋書きを期待していた者としては、たいへんな戸惑いを感じることとなった。
原作の筋書きは、前にも述べたとおり、夫に対する愛に基づく、身を挺しての行動が報われ、刑務所長の悪が暴かれて、夫および他の囚人達が解放されて自由を得るというものであるが、今回の演出では、刑務所長がフロレスタンとレオノ-レを刺殺し、この二人を石棺のごとく隠蔽し、大臣も悪徳に目をつぶる、という結末であった。
ある新聞の評では、「弾圧、隠ぺい、改ざんの数々で問いかける「フィデリオ」。メッテルニヒ政権下のベ-ト-ベンが現実味を帯び、身に染みた」とあり、現実の社会を直視していると評価している。しかし、夫婦の愛に基づく女性の勇気ある行動が実を結び、無実の囚われ人が自由を回復するという原作の結末を期待していた私にとっては、きわめて心穏やかでない結末であった。
【弁護士 児嶋初子】